考古学で鍛える
タイトルに惹かれて軽い気持ちで手にとったが,専門的に突っ込んだ内容が多く,日本の考古学について知識の乏しい私にはかなり難しかった。だが,「遺物に年号が付いていればそれを根拠にするなんて素朴すぎる。すぐ○×を付けれるようなものではない。」といった記述にはうなづかされる。
また,戦時中から戦後まもなくが舞台になっており,戦時中の油不足を補うために松の根を掘って古墳に大きな穴が空いたりとか,米軍兵の住居を造成するためにブルトーザーが工事をしようと待っているときに急スピードで発掘したりとか,世の中の動きと結びついている様が興味をそそられる。
歩けオロジーとしての考古学
森氏の大学卒業までの半生記であると共に、戦中、戦後の考古学の関西地域の実録にもなっている。「僕は考古学に鍛えられた。もっと率直に言えば、考古学を通して自分で自分を鍛えた。」という森氏はまさに青春時代を考古学、あるいは「発掘」一色で過ごしている。その中で借り物ではない、自分のスタンスを持った意見が生まれる。「一人の生涯のあいだに、一度も遺跡保存のために努力も発言もした事のない人は、本当の意味での学者ではないと確信している。」氏の弟子に当たる佐古和枝氏が妻木晩田遺跡の保存に成功させたのはそういう事なのだと納得。 「考古学の事を英語ではアーケオロジーという。…よく冗談で考古学はアルケオロジーといったものだ」それはなぜか。氏が学生時代に創刊した機関紙に書いているように「考古学は遺物の学としてより、遺跡の学へと進歩しつつある」からである。博物館で見るだけではわからなかった事も実際の現地に行けばわかる事がある。ときには遺物がどのように埋められていたかということが研究に決定的な事実を付きつける事もあるのだ。しかしそれだけではない。遺跡から見える風景が大切なのである。私もその場所に立つだけで、遠く弥生時代の生活者の人生が迫ってくることがある。いろいろと共感するところが多い本ではあった。
新潮社
日本神話の考古学 (朝日文庫) ぼくの考古古代学
|